我が家の双子と私は、5月半ばから2カ月
日本に帰っていました。
昨年は一時帰国して4週間後に母の突然の入院があり、
そこから怒涛の日々に。母が父を介護していたのですが
施設にお世話になることになりました。
私達は滞在を延ばし、5カ月日本にいました。
そして、母はリハビリを頑張り、1人暮らしできるまでに
心身共に回復、父も体重が減ったり転倒など心配も
増えてはいましたが、何とか元気でいてくれていました。
なので、今回の帰国では、私の気持ちも去年に比べて
リラックスして過ごせていました。
ところが、6月28日、父が80歳で急逝しました。
思いがけない旅立ちでした。
今も悪夢を見ているかのようです。
少しでもの救いは。
5月に帰ってから、1週間に一度は父を施設に迎えに行き、
数時間ではありますが自宅で家族で一緒に時間を過ごせていました。
そして、母がずっと気にしていた、本当は昨年する予定だった
祖母(父の母)や私の姉の法事も終えることができていました。
父と母の結婚50周年もお祝いできていました。
その時間がなければ、悔やむ気持ちがもっと大きかったかも
しれません。そして、たまたま日本にいたので、最期に
立ち会うことができ安らかな顔を見られたのはよかったです。
アメリカにいたら、駆け付けるのにも時間がかかるので。
お通夜、お葬式などを無事終え、様々な手続きも
できることはアメリカに戻るまでに2週間あったので、
終えることができました。
私は葬儀場の担当者さんに言われ、喪主を務めました。
辛い瞬間が何度も訪れましたが、私は1人っ子なので、
気をしっかり持って自分の務めを果たすことだけ
考えていました。
遺影の写真は、我が家の双子が生まれた時に両親は
3カ月間アメリカに来てくれていたので、その時
フォトグラファーさんに撮ってもらった中から選びました。
実は生後10日の息子を抱っこしている写真です。
皆さんが1番覚えていてくれる元気な父の姿で、
皆さん「いい写真やなぁ」と言ってくれます。
8年前なので、ちょっと若いけどね(笑)
一応家族葬ということで親族や本当に親しい人達以外には
こちらからお知らせしていなかったのですが、いろんな方達に
伝わっており、たくさんの方達が弔問に来てくださり、
お葬式の後も自宅の方に私が発つまで毎日のように
どなたかが来てくれていました。ありがたいことです。
父はとても優しくて器用で真面目な人でした。
地域や町のために、保育園経営や町会議員の仕事に尽力しました。
趣味が多く、特に油絵は大きい作品も多く描いて
展覧会などに出品していました。後、地元の小豆島の
作家や小豆島が舞台の本などもコレクションするのが
好きでたくさん集めていました。
仕事をリタイヤしてからは、母と神社やお寺などを
巡り二人で楽しんでいました。
日舞も長く習い、私の日本での結婚式の披露宴とアメリカでの
家族のパーティーの時に踊ってくれたのはいい思い出です。
今回、親戚の皆さん、友人達が親身になってサポート
してくれたおかげで乗り切れたので、本当に感謝しています。
まだ後数年は大丈夫かなぁ…と思っていたので
覚悟はできていなかったし、実の親との別れに悲しみは
大きいですが、否が応でも現実に向き合わないと
いけなかったので受け入れるしかなかったし、
日常は進んでいくし、ちゃんと笑って前を向けている
自分もいます。
皆さん母の心配をしてくださるのですが、私より
母の方がよっぽど気丈にしています。以前からですが、
母とは毎日電話で話しているので、これからも毎日話して、
後悔のないように行動したいと思います。
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